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08.22
Thu
仕事に就いても結局のところ、ないものねだり。
書店から離れれば、結局本が欲しくなる。
何をしたいのかと問われれば、本に関わる仕事がしたい。
でも、本に関わる仕事は衰退の一途を辿る。
金にならないから、本屋を開く自信がない。
その程度の情熱なのかと問われれば、もう、ぐうの音も出ない。
でも、今まで本当にやりたいことが見つからなかった自分にとって本というものは、本当にやりたいと思えた初めてのこと。
だから、自分では心底好きなつもり。

マルチタスクがいっこうに定着しない。
何かに追われていると、そればかりに目がいってしまい、平行してやるべきことに手が回らない。
やる気がおきない。一時の、あの情熱はどこにいったのだろう。
仕事帰りに「絶対、これに全力を尽くす」と誓ったのに、家に帰ってみれば手につかず。
何をやっても続かない。
もうウンザリしてしまう。辟易してしまう。たまに絶望もする。

実現欲求は継続せず、気づいたときには「ああ、あのとき…」という後悔ばかり。

もう、自分というものが何なのかわからなくなる。

話は変わるけど、何の面白みもない仕事を続けている人はいったい何を考えているのだろう。
いや、これは批判をするとかじゃなく。純粋な疑問として。

炎天下の中、工事現場で誘導をするおじさん。
駅前でティッシュを配る、若者。
レジ打ちに躍起になるおばさん。

その仕事楽しい?
何か、実現したい事とかないの?
何で時間を切り売りする仕事をしてるの?

そんな風に問いたくなる。
繰り返し言うけど、これは決して批判したいわけじゃない。
特に実現願望もなく、それを何も考えずに続けている人がむしろ羨ましいくらい。

だから、そんな人が何を考えて、何を目的として生きているのかがすごく気になる。

実現願望はあるのに、結局何もしない、浅ましい自分に比べたら圧倒的にマシな気さえする。

何も続かない、ああ、いつもいつも。

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03.27
Tue
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皆さん、豆腐食べてますか?

豆腐、好きですか?

今日は豆腐、特に「絹ごし豆腐」がいかに優れている食材であるかを強く訴えたいと思います。






◆自己犠牲の上に成り立つ美の完成型◆


まず、あの豆腐のやわらかさを思い浮かべて欲しい。

パッケージという鎧を身に纏った豆腐はその段階では容易なことでは形を崩したりはしません。

しかし、どうでしょう。一歩外界に出た瞬間に豆腐は赤子同然です。

ほんの少しで触れただけで、いとも簡単に形を崩してしまいます。

あんなに綺麗な四角形を保っていた、にも関わらずです。

ここに、豆腐の美学が隠されているのです。

簡単に崩れ去ってしまうことを知っていながら、どうして豆腐はわざわざ形を成さねばならないのか。

それは、私たちに「美」を提供するためなのではないかと私は考えます。

自分の儚い命を知っていながらも、利他主義を追求する。豆腐とはなんて献身的な食材なのでしょう。

我々も豆腐の献身的な姿勢に見習うべき点は多いと思います。









◆どんな役でも演じきる、食材界の「竹中直人」◆


美しく献身的な豆腐は見た目もさることながら、その汎用性にも注目する必要があります。


豆腐を使った料理を考えてみましょう。

まずはシンプルな湯豆腐。

寒風吹き荒れる厳冬。やっとの思いで家に到着すると、食卓にはアツアツの湯豆腐の姿が…

口に入れると思わぬ熱さに驚かされることもしばしば。しかし、気付いたころには心をガッチリと掴まれているのです。




また、鍋料理にも豆腐は欠かせません。

「鍋」という名のつく料理すべてに豆腐が使われているといっても過言ではないでしょう。

鍋の中の豆腐は他の食材の風味を損ねたり、食感を邪魔したりは決してしません。

ここでも豆腐は利他的であり続けます。

鍋の中にいてもそこまで目立つ存在ではないのに、いないと気付いた瞬間に急な寂しさを感じさせる不思議な食材。

それは別れた恋人にも似た存在

THE 豆腐










◆大舞台でも堂々と味の指揮をとる食材界の「小澤征爾」◆


しかし、脇役に徹しているかに見える豆腐にも実は裏の顔があります。

豆腐が完全なる主役を勝ち取った料理。


そう、麻婆豆腐です。

あんなにも脆く崩れやすい食材に、スポットライトを当てた豆腐の出世作。

挽肉、豆板醤、甜麺醤、山椒…それぞれが世界で活躍する超一流の食材・調味料です。

そんなスター軍団の味の個性を尊重しながら、豆腐がひとつの完成品にまとめあげます。

豆腐がいなければそれぞれの個性は浮いてしまい、力を存分に発揮することはできなかったでしょう。

ひとたびご飯にかけようものなら、もはやそれは全国民、全人類、垂涎の一品です。




また補足として、主役を勝ち取った料理に「豆腐ハンバーグ」があります。こちらの存在も軽視できません。






そのままでも十分に味を堪能できる豆腐。

栄養価が高いうえに、汎用性も高い豆腐。

人類の胃袋を支える豆腐。


私たちはもう一度、豆腐を見直すべきではないでしょうか。

それは食材としての豆腐はもちろんですが、今までも述べてきたように豆腐の食材界での立ち振る舞いにも着眼する必要があります。

そんなに主張はしないのに、いないと何だか寂しい。

大役を任されても、堂々とやってのけるバイタリティ。





豆腐の姿勢、生き方を学ぶこと。

それは私たちの人生をより充実したものにしてくれるかもしれません。




WE LOVE 豆腐

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03.26
Mon
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by:kabils




漢字が好きなあなたも、漢字が憎くて国籍を変えようかと悩んでいるあなたも。

もう一度、漢字について考えてみませんか?

人には名前があって、それは「中山エミリ」や「デーモン小暮」などの例外を除いて漢字のみで構成されています。

ですから、人間社会を生きる我々は漢字によって人を識別しているといっても過言ではないのです。

今日はそんな漢字くん(ちゃん)を皆さんにもっと好きになってもらう方法を紹介したいと思います。



◆読み方が複数ある熟語について◆

熟語というのは必ず決まった読み方があります。


例えば「乱雑」は「らんざつ」と読みますし、「変態」は「へんたい」と読みます。

ですからこれで文を作ると「乱雑な変態」となります。最悪ですね。



その一方で熟語の読み方が2つあるものも存在します。

例えば「世論」。これは「よろん」と読みますし、「せろん」とも読みます。


あとは「施策」。「しさく」と読みますし、「せさく」とも読みます。

他にも「競売(きょうばい・けいばい)」、「相殺(そうさい・そうさつ)」などがあります。



無題


(文化庁 平成15年度「国語に関する世論調査」の結果より)




上の表は2つの発音のうち、普段どちらで発音しているかを調査したものです。

ここで特に注目してもらいたいのが赤丸で囲んだ発音です。

まずは「世論」

「よろん」と発音するのが73.6%なのに対し、「せろん」と発音する割合は18.9%と非常に少ない割合となっています。

以下、「固執」「施策」「早急」も同様に2つの発音の割合が乖離しています。



◆マイノリティ発音はやがて駆逐されてしまう◆


この結果から、私が何を言いたいのかと申しますと…


これからはあえてマイノリティな発音をしませんか!

ということなんです。

たとえばね、ビジネスの場において

「この施策(せさく)に固執(こしゅう)していたら、債務が膨らむばかりだ。早急(さっきゅう)に例の物件を競売(けいばい)にかけましょう」

なんて言ったらビジネスパートナーは良くも悪く(場合によっては破談)も、こちらに対する見る目を変えるかもしれません。

私の場合、これら2つの発音がある漢字を発音する際は必ずマイノリティ発音をするように心がけています。

これは使命なのです!恐らく、今後マイノリティ発音は駆逐され、マジョリティ発音が世を席巻する時代が訪れるでしょう。

街を歩けば誰もが「よろんが悪い」と発音し、テレビをつければ女子アナが取ってつけたように「そうきゅうな対応が求められます」と発音する。

でも、待ってください。それは漢字の人格(漢格?)を否定することになるのではないでしょうか!

とある少年「ヒロシ君」に例えるならば、友達みんなから「ヒロポン」と呼ばれ慕われていたのに、それが戦時中に使われていた覚せい剤と同じ名称であるということを学校で習ったために、友達が一気に「ヒロシ」としか呼ばなくなってしまった。

ヒロシ君本人は「ヒロポン」という愛称を大層気に入っていたのに…ああ、また「ヒロポン」と呼ばれたい。あの時代が懐かしい。昔に戻りたい。


こんな悲劇を繰り返してはいけないのです。

「世論」君は「せろん」と呼ばれることを誇りに思っているかもしれない。

だから私は「せろん」普及のために、日々「せろん」と発音することで「ヒロシの悲劇」のような新たな悲しみが生まれないようにしたいと思っているのです。




漢字が嫌いなそこのあなた。漢字にも人格(漢格?しつこい)があるとわかった以上、もう嫌いだなんて言ってられませんね。

やがてくる悲劇に怯える漢字たちに救いの手を差しのべませんか?

一緒にマジョリティと戦いませんか?

今日から新たな一歩を踏み出そうじゃありませんか。

みんながマイノリティを追求すれば、やがて世界にも平和が訪れるはずです。


さあ、今日からあなたもマイノリティ…
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03.25
Sun
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仕事が終わった!さあ明日は休みだ!家に帰ってのんびり過ごそう!
最近、そうはなりません。

現在の勤め先が新宿ということもあり、帰り道は誘惑でいっぱいだからです。

そんな誘惑に負けて、一人で飲みです。

先日、友人と2人で行ったお店がばんしゃく家 新宿です。

その時に初めて食べた「牛すじの煮込み(390円)」があまりにも美味く、完全にビールにマッチしたため、次の日にも1人で行ってしまいました。


牛すじとビール!

ビールが少し減っているのは、我慢できずに飲んでしまったからです。許してください。


ここの牛すじの煮込みは牛すじのダシがしっかり出ていて、ゴロっと大きな牛すじがたっぷり入っているため食べ応え十分の一品です。肉もやわらかく、口に入れた瞬間「ホロッ」と溶けていきます。


この「ばんしゃく家」というお店は新宿西口の思い出横丁よりも、もう1つ線路側の通り(何か名前がついているのかな?)にあります。

店員さんの接客が丁寧なので1人でものんびりとした時間が過ごせました。

牛すじの煮込み以外にもメニューが豊富で、「馬刺しのユッケ」なんていう他の店では味わえないメニューもあります。

そして何よりビールが安い!生ビール1杯390円で、夕方6時までの時間帯はなんと250円(!)でビールが飲めてしまうのです。

ふらっと1人で入るのもいいし、あえての選択で意中のあの人と行くなんてのもアリですね!
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03.24
Sat
「敬語って難しい!」

よくテレビやその他メディアでも、よく敬語についての特集が組まれます。

改めて言うまでもないことですが、日本語は他の外国語に比べてみても明らかに難易度が高い言語ですよね。

言葉を構成する文字の単位をとってみても、英語はアルファベットA~Zの範囲で構成されているのに対し、日本語は平仮名、カタカナ、漢字を使って表現されます。


また敬語1つにとってみても「尊敬語」、「謙譲語」、「丁寧語」と細かく分類されている。



たとえば「行く」の謙譲語は「参る」。尊敬語は「いらっしゃる・行かれる」。

「行く」という単語1つに対して何個も用途があるわけです。

これだけで考えても、日本語を学んでいる外国人の方はすごいなって思います。


と、まあ、敬語について語ってきたわけですが。

今日は「仕事中の言葉遣い」に焦点を当てたいと思ったわけです。

その中でも特に、「後輩・目下」に対しての仕事中における言葉遣いについて考えたいのです。

皆さんも、仕事中にこういった経験はないでしょうか?

いつもはすごく気さくでフレンドリーに話しかけてくれる職場の先輩が、仕事になると敬語で話しかけてくる。

これはまあ、当たり前だよねって片づけてしまえばおしまいなんですが(笑)、この仕事とプライベートの言葉遣いの変化が私としてはすごく気になるんです。

これは私だけではないと思うのですが、後輩や目下に対して仕事中に敬語でいくかタメ口でいくか迷ったことがある人はいると思います。

何でしょうね、私の場合。

「普段は後輩にタメ口で話すのに、仕事中だけ敬語で話すってのも変だよな。だから仕事中もタメ口で指示を出そう。…いや、でも実際に指示を出すときってなんだか敬語のほうがしっくりくるな。」

みたいな葛藤をしたりしてます。


人柄に寄る部分がもちろん大きな割合を占めるのは確かなのですが、部下に敬語で話すかタメ口話すかによって慕われ度が変わってくるのではないかなと思います。

いま現在、私の先輩や上司にあたる人で尊敬できたり、見習いたいなって思う人はだいたい仕事中は敬語で話をしてくる人です。

もちろん、タメ口で尊敬できる上司や先輩もいます。ただ実際の割合としては敬語が優勢なのですね。


これは感覚的な問題になってくるので解明は難しいのですが、私が思うに敬語で話してくる上司や先輩っていうのは良い意味で「距離感」を保って接してくれているのだと思うのです。

相手が後輩であっても一人の職場の人間として扱う姿勢が表れているのかもしれません。

まあ単純に敬語で統一したほうがラクだからっていう人も数多くいるとは思いますが(笑)


いよいよ3月も終わりに近づいてきました。

4月には新人や後輩が職場にやってきます。

あなたは敬語とタメ口、どちらを選択しますか?







(『上司が部下に「タメ口」をきく』という表現はなんだか違和感があったのですが、果たして正しいのでしょうか…)

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03.23
Fri




みなさん、毎日メシ食ってますか?あなたはどんなメシを食らう瞬間が一番幸せですか?

いろいろな回答があるでしょう。

男子のみなさんは「肉!肉!肉!」でしょうか。

女子のみなさんは「砂糖!砂糖!砂糖!」でしょうか。

実は私も女子に負けないくらいの甘党です。

ここだけの話ですが、私は練乳のチューブをチューチューするのが大好きです。

それで昔はよく母親に怒られていました。

一般的見地から考えてみても、あるいは浮世離れした人から見ても、男というのはとにかくメシが好きな生き物だと認識されていると思います。

少し前は草食系男子なんて言葉とともに、少食の男子がもてはやされた(?)時期がありました。

そんなものは言語道断、私は絶対に認めたくありません。

「男は黙って肉を食え!」そう声高に叫びたいのです。

女子の皆さんには申し訳ないですが、正直言って肉は男の食い物だと思います。

肉をがっつく女子も嫌いではないですが、やはり女子の方々には「砂糖」をぺロぺロして

「私はこれだけで十分なの」

というスタンスでいてもらいたいのです。

なぜ、これほどまでに肉を神聖視しているのかというと。

それは紛れもなく「牛丼」の存在があるからです。




さあ、いよいよ本題です。今日紹介したいのは『めしばな刑事タチバナ』(徳間書店)という漫画であります。

どんなお話かというと、まず主人公は刑事です。

軽微な犯罪者を取り調べながら、その取り調べがいつのまにか「メシの話=めしばな」にすり替わっていきます。

お決まりの「かつ丼食うか?」から本格的な取り調べが始まるのかと思いきや

いきなり富士そばの「カレーかつ丼」の話が始まります。以下、漫画本文より。



「なあ、うまいかつ丼食ってるときに、横から店主がカレーのソースをかけてやるっていったらどうする?」

「…断わります。」

「だろ?」

「すでにご飯にはダシ汁がしみ込んでる。これは間違いなくリスキーな食い物なんだ」





まあこんな感じで話は進んでいくのですが、とにかく描写が上手くて腹が減る漫画です。



第二ばな「牛丼サミット」では牛丼にかける男の熱い想いが迸っています。以下本文


「吉野家・松屋・すき家、ここ数年3大メジャーの牛丼の『うまさ』のレベルは方向性の違いこそあれほぼ横並び状態だ。

となるとどこに入るのかという悩みそのものが男の生き様を決定づけるような気がしてな。」




ここまで書いて思いましたが、この漫画は女子の皆さんにはあまり響かないかもしれません。


その反面、男子にとっては非常に強烈かつ興味深い漫画だといえます。




男メシの在り方とは何か。私はこの漫画を通してすごく考えさせられました。

安い、濃い、多い。

この三拍子が男メシに欠かせない要素だと思います。

それを満たしているのがやはり「牛丼」なんですね。

私自身、松屋に相当入れ込んでいます。


私は「牛丼並盛サラダセット」を注文することが多いです。

これは牛丼、味噌汁、サラダ、生卵がセットになっているメニューなのですが、券売機(松屋は牛丼3大メジャーの中で唯一、券売機を設けている)のボタンを押した時点からもう頭の中で戦いは始まっています。

まず、どのタイミングで生卵を牛丼に投入するか。


私の場合、まず牛丼一面に広がるくらい、紅ショウガをたっぷりとのせます。

そしてそのあとによくかき混ぜた生卵を上からかけます。

ここで注意してもらいたいのがこの順序なのです。

紅ショウガをのせる前に生卵を牛丼にかけてしまうというのはご法度なのです。

なぜかというと、卵を先に牛丼にかけてしまうと卵と肉だけで妙な一体感が生まれてしまい、後から投入した紅ショウガが完全に疎外されてしまうからです。

紅ショウガが疎外され、己のみの味が強調されると紅ショウガの辛味が浮いてしまい、せっかくの牛丼のダシの風味が半減してしまうのです。

つまり、牛丼 卵 紅ショウガ

この3者が一体となって初めて、完成された牛丼となるわけです。



高級なレストランやオシャレなカフェの食事からしたら、牛丼なんてものはハッキリいって下賤です。

でも、そんな下賤な食べ物にも自分のこだわりを持てるのが牛丼なのです。

高級フレンチやオシャレなカフェで出てくる料理というのはもちろん美味です。全くもって非の打ちどころがない料理ばかりです。

でもそんな料理たちというのは完成されすぎているために、自分のオリジナリティーを追究することは難しいと思います。

オシャレなカフェで出てきた料理に塩やらコショウやら醤油やら、ましてや紅ショウガなんてものを自分の思いのままに投入していたら、一緒に食事をしている相手も不快ですし、店主の方にも失礼です。


でも牛丼はすべて思いのままです。

松屋ではセルフで使える焼肉のタレ(3種類)を使って味に変化をつけてみたり、サラダのドレッシング(こちらも3種類)をかけてさっぱり牛丼にしてみたり、思い切って味噌汁をかけて和風牛丼(いつか挑戦してみたい)にしてみたり。


自分の胃袋に歩調を合わせてくれる、こんなに変幻自在な食べ物は他に存在しません!


皆さんもぜひ、自分だけのオリジナル牛丼に挑戦してみてください。














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03.17
Sat




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03.11
Sun
言葉というのは、どんどん意味が変わっていくものです。

その言葉の持つ響きであったり、漢字が与える印象であったり。

そのさまざまな要因によって、人の使う言葉というのは変化していきます。

例えば「憮然(ぶぜん)」という言葉。

この言葉の意味は

「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。」(大辞泉より)

です。

しかし、平成19年度の文化庁の日本語調査によれば「憮然」の意味を「腹を立てている様子」と答えた人が約7割にのぼったそうです。

この「憮然」に関しては「ぶ」という言葉の響きが意味を変化させてしまったのではないでしょうか。


他にも「助長」や「破天荒」なども言葉の意味が経年とともに変化してきているようです。



そんな中、今日考えたい日本語というのが
「竹馬(ちくば)の友」でございます。

念のため意味を確認しておくと
「幼いころに、ともに竹馬に乗って遊んだ友。幼ともだち。幼なじみ」(大辞泉より)

です。


この言葉が生まれた時代というのがかなり昔であったのだろうというのが容易に想像できる貴重な言葉ではないでしょうか!

そして確実に絶滅の危機に瀕した言葉でもあると思います。

まず日常会話で使うことは皆無でしょう。

例えば、仲の良い同僚が一人いたとして、その人との飲み会の席に幼馴染の友人を連れていったとしましょうよ。

その席で同僚に幼馴染の友人を紹介する時に

「こいつは俺の竹馬の友なんだ。よろしくやってくれよな」

なんて言っても「?」です。よろしくやれません。

こういう明らかに死語となっている言葉。

こういう言葉に対して、私たちはどのように接していくべきだと思いますか?

昔の古き良き言葉が死んでいくのをただ傍観しますか?

あなたはそんな非人道的な人間ではないはずです!

わざわざこんなブログを読んでいる時点で非人間界に片足を踏み入れていることは否定しませんが

でもあなたにはまだ片足が残っているではありませんか!

だったら死にゆく言葉たちを現代社会に復活させることで、半非人間から脱却しようではありませんか!

まだチャンスはあります!


と、いつかシュプレヒコールしてみたいフレーズを並べたところで


「竹馬の友」について考えていきます。


まず私が言いたいこと


それは





「おれ、竹馬乗れないから!」



ということです。


別に特段、運動神経が悪いわけではありません。

でもどう考えても幼少期に竹馬に乗って友達と戯れた記憶がないんです。

だから、「竹馬の友」という言葉を文字通り解釈すると私には友達がいないことになります。

友達がいないどころか、もはやいじめの対象です。

なので、現代に生きる私たちにとって「竹馬の友」という言葉のままではどうにも都合が悪い。


そこで「竹馬の友」にとってかわる言葉を考えなくてはなりません。


そこで自分の幼少期から青春時代を振り返ってみるわけです。


自分は何を使って友達を作ってきたか?

何が自分と友達の絆を深めたのか?


この回顧はけっこう意義があって面白いです。


私の場合、真っ先に浮かんだのが小学校から中学校の時代にかけて流行った

「スマブラ」です。


男子にはもう説明の必要もないと思いますが、この文章を読んでくれている物好きな女子のために一応説明しておきます。

正式名称は「大乱闘!スマッシュブラザーズ!」です。

いま考えてみると意味不明なタイトルですね。

これは任天堂64のソフトとして発売されたテレビゲームです。

そのあと、Wiiでも発売されたのかな?確か。


ゲームの内容を簡単に言うと任天堂の往年のキャラクターたちがさまざまなステージで殺し合うゲームです。

本当はずっと憎かったのでしょう。マリオとヨッシーがここぞとばかりに殺し合うシーンが堪能できる斬新なゲームです。


このゲームがこれでもかっ!ってくらい流行りました。

こんなに流行っているのに、竹馬で友達を作ろうとする育ちの良い少年は存在しませんでした。

というかバカです。


このゲームを通じて友達の輪が広がっていったのは自明の理です。


本題に戻りましょう。


現代版「竹馬の友」についてでした。


左様、「スマブラの友」です。


期待は裏切りませんが超えもしません。




もっと革新的な「竹馬の友」を求めるあなた。

そして「わたし、スマブラなんて知らないし!」という我の強い女子。

そんな方々のために、実はアバンギャルドな「竹馬の友」も用意しました。




「潮干狩りの友」です。




潮干狩りという全く意味のない行為。スーパーではもっと美味しいアサリが簡単に手に入りますよ~


でも行くんです。私は小学生のころよく家族で潮干狩りに行きました。


家族で懸命に潮干狩りをしていると、ふと遠目に見たことのある顔があります。

なんと!同じクラスのタモツ君ではないか!

私はゆっくりとタモツ一家の元へ歩み寄ります。


そして「タモツ君!キミも潮干狩りに来ていたんだね!」


正直、タモツ君とは普段からそんなに喋ったこともありませんでした。


でも、潮干狩りの何かが僕たちを繋いだのでしょう。


次の日、学校に行きタモツ君に会うと早速「アサリトーク」が始まります。

日焼けしちゃったよね~、腰痛いよね~など、潮干狩りの苦労話をしたりもします。

しかしこの「アサリトーク」の真髄は

「前の晩にどんなアサリ料理を食べたか」

にあります。

この話題は実はけっこう奥が深いのです。

というのも、どれほどのレパートリーのアサリ料理が食卓に並んだか。

これによって自分の母親の技量までが露呈されるからです。


マザコンの沽券に関わる重大な問題です。

でもたとえ、自分の家の食卓にアサリの味噌汁とアサリのバター炒めしか並ばなかったとしても落ち込むことはありません。


なぜなら


もうあなたはそんな話題で笑い合える


「潮干狩りの友」を手に入れたのだから…












敬語に不安がある方、ごらんください。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/kdex.html



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02.18
Sat
今日は日本語の意味を新しくしよう

そんな目的をもって、綴りたいと思います。


テーマは「隣の芝生は青く見える」であります。


この「隣の芝生は青く見える」


という言葉の意味はもう説明を必要としないくらい


みなさんも知っている言葉であるとは思いますが一応


「何でも他人のものはよく見えるものである」

という意味です。



これに関しては日常生活でもよく直面することだと思います。



たとえば私の場合、本が好きなので道行く人が本を片手に歩いていると


その人の本がやたらと羨ましく思えてしまいます。


これは個人的な嗜好なのですが、ハードカバーの本を片手に町を歩いている人を見ると


羨望の眼差しでみてしまいます。


何でしょうね


「俺(ワタシ)はバッグなんていらない。財布と本さえあれば満足なんだ」


という感じがヒシヒシと伝わってくるんですよね。



だからどこか行くにしても、財布と本だけを持って出かける。


この感じがすごい好きなんです。


だからそういった人々に触発されて、私も文庫本片手に街を歩くようにしています


まあ、私の場合、元来荷物を持っていないと不安な人間なので


出先でやれ「ああ、ハンドクリーム忘れた」だの

やれ「ハンカチがない、不安だ」


といった具合になってしまうので、正直困ってます。



話を戻すと、人の本に憧れるっていうのはたとえばですよ、紀伊國屋のカバーをした本を片手に

道を歩いている人がいたとします


その時に自分も偶然、紀伊國屋でカバーをしてもらった本をもっているとして


外見は一緒ですよね、紀伊國屋のカバーですから。


でも、なぜか同じもののはずなのに隣の人のカバーが輝いて見えてしまうんです


これはいったい何なのでしょうか。



この現象を「隣の芝生は青く見える」なんてたとえて言うわけですが


改めて考えてみると

実際の生活で文字通り、隣の芝生が青く見えることってありますか?

まず芝生の手入れっていうのはなかなか大変なものだし

第一、今の建売が跋扈する住宅状況からいって、芝生を完備した家というのは減少傾向に

あるのではないでしょうか?

そんなきれいに手入れされた芝生の家の隣に自分が住んでるっていうケースは

現代を生きる我々には希薄なのではないか!

そう強く思うわけです。


だから、今一度

「隣の芝生は青く見える」


この慣用句を廃止し、新たな表現を使った慣用句を作ろうではないか!


現代を生きる我々の実情に即した、云い得て妙な表現をこの手で作ろうではないか!


そう思うわけです。



そこで、まず必要になってくるのは材料集め。


ようは日常生活で「人のものが羨ましく思える瞬間」


というものを考える必要があります。



そして、隣の芝生なんてものは現代日本人にとって日頃から目にして羨むものではなくなってしまった以上

より普遍的な言葉選びが要求されます。



そこで!


より多くの方々に共感していただけるような

「青い芝生」

を用意しました!





「電車内でマックの袋を持ち、ニオイを漂わせている人は高貴な感じがする」


これは、自分には到底なしえないことを他人がやっているということに対する屈辱感が働いている表現です。


まず、私にとってマクドナルドをテイクアウトするという行為は言語道断であります。

食べ物、とりわけマックほどアツアツ感が重要視される食べ物というのはなかなかないのではないでしょうか?

揚げたてのポテト、シャキシャキのレタス、フワフワのバンズ…

マクドナルドが業界の先を突き進む原点というのは、この出来たての喜びを提供できている


そこに拠るところが大きいのではないでしょうか。


それを無碍に扱ってテイクアウトするという卑劣な行為は肯んじることはできないのです。


そのテイクアウトという卑劣な行為に拍車をかけるのが、何を隠そう

「密室空間への持ち込み」

であります。



皆さんも経験があるとは思いますが

マックの匂いというのは店内ではそんなに意識することはないですが


その匂いが一歩外に出るだけで非常に気になるものです

そしてそれが悔しいことに、鼻腔を絶妙な按配で刺激するんですね

こりゃもう、たまらんという具合に


コンビニに立ち寄って、少しでもマックの匂いがしてきたときに私は即座に犯人を捜し出します

そして、軽蔑の気持ちと同時に

「う、羨ましい…」


と思ってしまうのです。



ですから、そんな強烈なマックを

「電車内という究極の密室空間」

に持ち込まれた日にゃ、もうお手上げです。


帰りしな、マック買います。







とまあ、いくつか隣の芝生代替案を列挙する予定だったのですが


自分の中でマクドナルドが妙にしっくりきてしまったので


今日から

「隣の芝生は青く見える」

は廃止し

「密室内のマックは鼻腔をくすぐる」

を採用します。



誰かの何かが羨ましく思えたときは


すかさず


『「密室内のマックは鼻腔をくすぐる」って言うもんな~』


と使ってください




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02.03
Fri
Ayumu_Yuasa

今日のアメトークは読書芸人です。カットされてなければウチの店が紹介されると思います。ぜひご覧下さいませ。
02-02 12:46


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